最近、ニュースで復興がどうのとやってるなと思っていたら311でしたね。
このブログも色々とあって空いてしまっていましたが書くきっかけになりました。
本当に個人的なことなんですけどPCの更新をしたら各種パスワードが消えてしまってツイッターに書き込めなくなってしまいました。そうしたら他のネットもやらなくなってしまって更新が途絶えていました。PCの更新には注意が必要です。ツイッター初期化しようにもどのメルアドか分からず時間が過ぎています。。。
さてタイトルの311ですね。去年も書いたかもしれないけど、この時には私は海上自衛隊で働いていてちょうどアフリカでの任務につくため広島は呉から出港するところでした。いつもはこういう出港のときにはセレモニーが行われますが、呉所属(全国)の護衛艦は災害救助のために福島へ向かっていたため最小限のセレモニーでした。呉所属の護衛艦に医務長で乗船していたので東北にゆかりのある隊員はほとんどいませんでした。私は衛星でつながるNHKをみながら遠くの世界の出来事のように津波をみていました。今のウクライナとかに対する報道への態度に似たものだった気がします。原発が大変なことになっていて陸自のヘリが放水していたのもテレビでみていました。もうそんな手段しかないのかと思いながら衛星は途絶えました。最初に水などを補給するためにインドに入港した気がしますが、現地につくとたくさんのトゥクトゥクが我々を連れ出すために港に待機しています(大抵の国はこんな感じで外国の軍艦が入港すると賑わいます)。その中の人が「お前らこんなところに来れる場合か。日本に帰れ」と我々に声をかけました(じゃあ、来んなよとも思いましたが)。入港すると我々は水質検査をして飲水として船に補給していいかなどの作業があるので構ってる暇もありません。また陸地が近づいてくると衛星が入るので日本の現状も分かっていました。ただ、本当にどこか遠くの話で実感はなかったですね。そこから半年間アフリカと中東を往復する日々を過ごしていました。帰国の途上で、日本にいなかったし何かボランティアでもしないとなと思いながら学会などに連絡をしました。その後に相馬のなごみというところで医療ボランティアを週1くらいで行くようになりました。たしか、所属が佐世保から防衛医大に移った時あたりだったと思います。上司も同僚も理解のある人達だったので心置きなく相馬へ毎週行っていました。
書いていたら長くなるので明日続き書きます。特にオチのある話ではないことお断りしておきますね。
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